ネットコミュニケーションを考える上でこんな本も
佐々木俊尚氏のエントリが出た。まあ大体記されていることは自分が以前書いたことと同じで共感できた。炎上については、前にも書いたことがあるので省略するけど、どうも相変わらず、攻撃的なネットコミュニケーションは収まる気配がない。
<以下佐々木氏のエントリの引用>だが蓋を開けてみれば、そうしたオープンジャーナリズム的行為に対するインターネットの世論は、GripBlogの炎上に象徴されるように、絶対的批判に終始した。
今のところ、そのディスコミュニケーションの行く先に、新たな地平線はまだ見えてきていない
しかし、ネットによるコミュニケーションに失望するのはまだ早いかも。danさんの言うとおり、自分も含め、ほとんどの閲覧者は読むだけで反応していないし。問題はそうしたサイレントマジョリティの意思と、コメント欄での言説との乖離だろう。
湯川さんのところのコメント欄も最近すごいけど、執拗に批判を書き込む人々に対して、某弁護士のように過剰反応する必要もないだろう。どう見ても、コメント欄というのは特定のタイプをあぶりだす傾向がある。(もちろん重要なコメントもあるが)最近では、このような人も「絶対正義」のもとに血祭りにあげられている。
正直、ネット上のコミュニケーションに過度な期待はしていないけど、いわゆる世論の実態と、コメント欄とのギャップに関しては、分析する必要があるかもしれない。とりあえず参考になるのは、はてなブックマークだろう。コメント欄は炎上していても、ここは意外に静かだったりする。
炎上はネットコミュニケーションを考える上で重要な社会現象だと思うが、最近、心理学的な考察を深める上でいい本を見つけた。その名も「他人を見下す若者たち」。いかにも地雷を踏みそうなタイトルだ。
この本には、ネット好きな若者を激怒させるスイッチが満載である。GripBlogやジャーナリストのサイトで執拗な批判をおこなうコメンターさんたちは、恐らく猛烈に反発するだろうと予想する。暇な人はアマゾンのレビューを読んでみてほしい。
団塊世代であるこの教授はあやふやなデータを元にした推論を、天真爛漫に開陳している。具体的には「仮想的有能感」という概念を作って説明している。それは、他者を軽視し、批判的・否定的に突き放すことで、自動的に誇らしい快感を無意識に感じることである。このイメージはコメント欄を荒らす人物像にダブる。IT機器がそういう傾向を助長しているとも著者は言う。
だが、内容はアマゾンのレビューでも指摘されているように、「最近の若者は死んだような目をして、ネットとケータイばっかしている世間知らずだ」と居酒屋で愚痴ってるような感じもあり、根拠は薄弱だと言われても仕方ない。
だが世の多くの人が感じていた「空気」を言語化したので、売れたのだろう。主張には、うなずけるところもあって、コメント荒しをする人たちの心理をうまく表現している。部分的には参考になる。
最近、私が20代前半の若者と話す時に感じる不遜さや根拠なき自信も、恐らくこの著者が言うような「仮想的有能感」からきているのだろう。身の回りでも、ロクな実績もないのに、自信満々で会社を辞めてフリーになる20代後半社員たちが大勢いる。その心理も「仮想的有能感」という概念で説明がつく。
ただ、そういう若者を育て、社会を作り上げたのは、著者のような世代であった点にも留意が必要だ。
アマゾンレビューでは、特に若い人から散々な評価である。ただしリアル社会では、多くの人が「よくぞ言ってくれた」と溜飲を下げているのではないだろうか。僕自身は、この本に激怒する若者の気持ちも分かるし、すっきりするオヤジの気持ちもよく分かる。
この本の我田引水さと根拠の薄弱さに対する若者たちの批判は、当を得ている。しかし、それを論拠に著者の言論自体を全否定してしまうところに、弱さも垣間見える。はっきりいえば、「指摘が図星」なので反発しているのが分かるのだ。
自己を正当化するために、気に入らない意見を全否定しているという点では、著者の論理を補強するサンプルを提供しているようなものだ。
さて、こんな本を肯定的に紹介すると、私も「高見にたって偉そうに説教をたれて、お前は何様か」とまた批判されてしまうかもしれない。でも、最近コメント欄で暴れ回る人たちの心理を考えるのに参考になった。
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Comments
ノリはちょっと違うと思いますが、『ケータイを持ったサル』(正高 信男著:中公新書)は、ケータイ世代(ほとんど女子高生をターゲットにしているように読めましたが)を「サル」扱いする点で、ある意味、若者の怒りを買う内容かもしれません。
‥‥ただ、この著者は、確信犯であって、言うなれば団塊世代の著者自身が、自分の研究テーマである霊長類をネタにして、若者に対する愚痴(?)を書いているわけです。つまり、同世代の溜飲を下げるのが目的なので、学術的な記述をするのが一種のギャグになっていて、目くじらを立てられずに済んでいるのでしょうね(^^)。
Posted by: テツヤ | May 23, 2006 at 09:25 PM
すべての根本は、アルファ感が壊れていないことです。
アルファブロガーとはよく言ったものです。
Posted by: スポンタ | May 24, 2006 at 05:49 AM
ここは一つ視点を変えて、「見下される自分」「見下される誰か」は何故そうされるのか?という風に考えた方が利益になると思う。
実際、無闇に周囲を見下すような事をやらかすばかりなら、そういう人は遠からず居場所を無くすから、そういう意味では無問題。
大体、自己主張というモノの本質は独善性を抜きにして語れないでしょう?
それじゃ(無用な軋轢を作らないための)レトリック技術の未熟さだけの問題に矮小化した方が良いとは思わないし、取り敢えず「根拠のない自信」は善悪は別にして時間の経過と共にメッキが剥がされるとだけ伝えておけば良いんじゃないかと。
そういう事は結構その通り認識していたりしますよ、若い人達。
というか、周りがそんなだから虚勢を張る必要があるんじゃないかな?
Posted by: トリル | May 24, 2006 at 03:34 PM
ピエロになれない若者たち、なんてタイトルで一冊書くと面白いかもね。
大人になったら良くも悪くもピエロ的な一面が必要でしょ。仮に人を見下すような言動をしたとしても、どこかで「いや実は私も…」的なフォローが要る。ひとりでそういう面まで兼ね合わせれば、倣岸不遜な言動も意外とギャグになったりするもので。ならなかったりもしますが。
そういった「フォロー」に相当する部分を、人様に委ねちゃってる。それが、著書を読んで溜飲を下げる人たちにとって小生意気に映るんじゃないかと。
なんのことはない、自分のウンチを自分で拭けないだけなんですな。
Posted by: 私 | May 24, 2006 at 11:16 PM
テツヤさま
ケータイをもったサルも以前読みました。なるほど、今回の著者と同じにおいを感じましたね。
スポンタ様
?
トリル様
おそらく社会に出て行くうちに、自信もしぼんでいくんでしょうね。
私様
まあ僕も勘違い野郎でしたけど、もう少し目上の人への敬意はあったような気がします。
最近、22歳くらいの後輩に制作会社に勤めていると言ったら「へー、それ、おもしろいんすか?」と言われてしまいました。
Posted by: hakohugu | May 24, 2006 at 11:23 PM
ちょい悪めを気取ったりする(逆に正義感満載だったりする)中高校生ってこんなもんでは? とも思いますが。だから厨房って言うんでしょ?
厨房がなんか言ってきたら、ネタにマジレス格好悪いでも何でもいいから、とりあえずマジ受けが基本だと思います。
別に構って嬉しいとか嬉しくないとかどうとか、そういう「行為がもたらす意味」なんかどうでもいいでしょ。
まず受けて、何らかの結果が出たところで、その結果に対して「次」があるわけで。
あんまり高尚に分析・解析なんかやっちゃったら、またひとつ「次」を奪うだけのような気も。
地味にさりげなく奪われる「次」を失いたくないから、暴れてるんじゃないかと。
Posted by: 私 | May 24, 2006 at 11:27 PM
その意味で、拘置所上がりさんのまとめは面白かったです。とか言って軽く見下し発言。
Posted by: 私 | May 24, 2006 at 11:30 PM