所有という概念
かつて森の中で狩猟採集民と一緒に生活したことがある。彼らは家電製品などを与えてもあまり受け取ろうとしない。いずれ壊れた時に、森の中にある物では補修できないことを知っているからだ。食べられるものやタバコなどは受け取る。しかし、決してありがとうとは言わない。初めはそのそっけない態度に当惑し、何か割り切れないものを感じる。
やがてそれは彼らに「所有」という概念が無いからだと知る。物は、常に持つ者から持たざる者へと分け与えられるべきものであり、森の生活ではそれが当たり前だからだ。物は所有(ストック)すべきものでなく、回り物(フロー)なのである。物を持つ私が、彼に分け与えるのはごく自然なことであり、何ら礼を言う必要は無いということになる。
本来お金の流れも、そういうものなのかもしれない。誰かが欲を張ってフローを止めると、それは膨張し、行き場を求めて確実な市場を求めてなだれこむ。結果、多くの人間が不幸になる。物やお金は、それを必要とする人の間をぐるぐると巡ることが、最も理にかなっているのかもしれない。経済におけるお金は、人間でいう血液なのだと改めて思う。
インターネットでいうコピーフリーという概念も少し似ているかもしれないと思った。コピー制限という堤防で、所有している権限を守ろうとしても、濁流のようなインターネットの力に飲みこまれいずれ決壊する。それは自然なことなのだ。今、情報の世界で初めて、所有という概念が崩されようとしている。だが、その先に何があるのかが見えない。
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